現在、厚生労働省が、「2025年(平成37年)を目途に、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進」しています。
今、なぜ包括的ケアが叫ばれているのでしょうか。その基礎となった概念であるソーシャル・インクルージョンについて述べてみたいと思います。
ソーシャル・インクルージョンとは、「社会的包摂」とも訳され、その意味は「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う」という理念をいいます。
この概念は1970年代のフランスにおいて、戦後の復興や福祉制度が整備されつつある状況の中で、その中においてさえ、なお社会的に排除されている状態のことを「ソーシャル・エクスクルージョン」と呼んだことが発端です。その後1980年代に入り、ヨーロッパ全体で若者の失業が問題視され始めたとき、この「ソーシャル・エクスクルージョン」という言葉が注目され、同時にその対語としての、「社会的包摂:ソーシャル・インクルージョン(social inclusion)という言葉が生まれました。イギリスやフランスなどのヨーロッパ諸国においては、近年の社会福祉の再編にあたっての基調理念ともされるものです。
つまり、ソーシャル・インクルージョンという言葉は、ソーシャル・エクスクルージョンという言葉から端を発した、今日的な格差の問題や課題を広く含んだ概念なのです。
わが国でも2000年12月厚生労働省において「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会報告書」としてまとめられ、社会的弱者(社会的排除)に対処する政策課題のひとつとしています。(後に、教育現場でもインクルージョンと呼ばれる言葉に発展していきます)
社会的弱者とは社会的格差の対象となる人たちを含み、移民、貧困者、高齢者、女性、子供、非正規雇用者、住まい、地域によるものであり、当然のことながら障害者も含まれます。(ソーシャル・インクルージョンは、本来、障害者だけを対象とした言葉ではありませんでした)
このソーシャル・インクルージョンは、ノーマライゼーションを発展させた概念だと言われます。
ノーマライゼーシンは「障害をもつ人も、もたない人も、地域の中で普通に、当たり前に暮らせる社会」にしようとしたのに対し、ソーシャル・インクルージョンは「さまざまな個性を持つ人を、その多様性を含めて個性として、そのまま社会の中に包摂すること」としています。
これは「それぞれの個性が十分に尊重されるような多様な価値観を許容することのできる社会である」ということを前提に、誰も差別されたり排除されたりしない相互共生的な社会が構築されることが重要であるという考えに立っており、真のノーマライゼーションの姿ともいえます。
(引用及び参考元)
介護110番、WEBサイト「障害保健福祉研究情報システム」、WEBサイト「biblion知的好奇心をくすぐる読み物サイト」、「ノーマライゼーションと社会的・教育的インクルージョン」曽和信一著 阿吽社